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    • 2017.07.22 Saturday
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    マッカーサーと幣原はなぜ幣原発案説を唱えたのか

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       憲法9条の発案者が誰であったのかという問題については、これまで、憲法草案作成時の首相であった幣原喜重郎だという説と、マッカーサー説の2説が有力であった。前者の幣原説については、幣原自身とマッカーサーがともに主張しているという強みがあったが、仮にそうだとすると、古関彰一が緻密に論証しているように、あちこちで矛盾が生じてしまうので、結局、幣原説を採用することはできない(『平和憲法の深層』)。そして、私自身は、古関彰一が主張しているように、マッカーサー説が正しいだろうと思っている。もっとも、この説とて決定的な証明ができているとは言えないので、真相は依然として藪の中だと言わざるを得ない。ほかにも合作説やケーディス説など他の少数説も存在している。しかし、少なくとも幣原説ではないことだけは確かだと思われる。

       

       ところが、今年になって、(おそらく護憲派の間で)幣原説が俄かに再ブームとなっている。その原因は、このブログでも書いたことだが、平野三郎氏の文書「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」を収録した『日本国憲法 9条に込められた魂』(鉄筆文庫)の出版と、堀尾輝久氏の主張する「新史料」の「発見」である。前者については、「護憲派のガセ本(1)」同(2)「同(3)」で、後者については9条幣原発案説の亡霊」でそれぞれ批判した。ところが、言うまでもないことだが、私のブログを読んでいる人など極々極々極々少数にすぎないので、護憲派界隈では、幣原発案説が再流行しているようなのである。最近読んだ中では、『週刊金曜日』122日号の「女子会」における黒澤いつき弁護士の発言がその一例である。あまりにもバカバカしいので、同誌に批判的文章を投書したが、おそらく掲載されることはないだろう。その投書した文章のコピーを友人に見せたところ、後日、幣原が本当の発案者でないとしたら、なぜ幣原やマッカーサーや平野は、幣原が発案者だと言い張るのだろう、との質問をメールでもらった。すぐに返事を書き始めたのだが、どうせなら、その内容をこのブログで公開する。

       

      <以下、友人への回答>

      そうだね。古関彰一が主張しているように、9条の原案の発案者がマッカーサーだったとしたら、なぜ幣原やマッカーサーが、「発案者は幣原だ」というようなことを言うのか不思議に思うのは当然だよね。でも、順を追って考えれば、不思議なことは何もないのです。

       

      まず、最初に幣原発案説を公式に述べたのは、幣原自身なのです。

      幣原は1950年、読売新聞に「外交五十年」という回想記を執筆しており、それが翌年、同名タイトルの本として読売新聞社から出版されています。その中で、1945815日に「玉音放送」を聞いた後、電車の中で乗り合わせた30代の男が、「なぜこんな戦争をしなければならなかったのか、ちっとも判らない」と叫ぶのを聞き、深く心を打たれたということを書いています。そして、戦後、首相に就いたとき、この光景がよみがえり、「これは何とかしてあの野に叫ぶ国民の意思を実現すべく努めなくちゃいかんと、堅く決心したのであった。それで憲法の中に、未来永劫そのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。つまり戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならんということは、他の人は知らんが、私だけに関する限り、前に述べた信念からであった」と書いています。さらに続けて、「こんどの新憲法というものは、日本人の意思に反して、総司令部の方から迫られたんじゃありませんかと聞かれるのだが、それは私の関する限りそうじゃない、決して誰からも強いられたんじゃないのである」とも書いているのです。

      つまり、当時から憲法9条がGHQの押しつけではないかと疑う人がいたので、それを否定するために、この文章を書いたと考えられます。当時はまだマッカーサーはGHQ最高司令官だったので、幣原は新聞にこの文章を書くに当たり、事前の了承をとっていた可能性は十分あると思います。もちろんこれは推測にすぎませんが…。さらに邪推をすれば、マッカーサーが幣原に対して、「9条は自分(幣原)の発案であると公表せよ」と示唆されていた可能性すらありますが、まぁ、これは考えすぎかもしれません。いずれにせよ、マッカーサーにとっても、憲法がGHQの押しつけであるとばれることは何としても避けたかったことだけは確かです。なお、憲法のもとになったGHQ草案が日本側に押し付けられたという、憲法の起草過程が公式に明らかになったのは、(今正確には思い出せませんが)50年代半ばのことです。

      いずれにせよ、占領時代にはすべての出版物がGHQの検閲を受けていたので、憲法の起草過程という重大な事柄に関する幣原の新聞記事の内容は、マッカーサーも熟知していたことは確かでしょう。

      その後、マッカーサーは翌514月、GHQ最高司令官を解任され、帰国後の55日、米上院軍事外交委員会で、「9条の発案者は幣原だ」と証言しています。ちなみに、有名な「日本人=12歳」説を唱えたのもこのときです。マッカーサーにとっては、朝鮮戦争勃発直後に警察予備隊を創らせ、9条に反する再軍備を始めたものの、いまやアメリカにとって完全に政治的な邪魔物となっていた9条を発案したのが自分であるなどとは絶対に認めたくなかっただろうし、当時は対日平和条約と(旧)安保条約の交渉真っ最中で、米軍基地を維持したまま平和条約を締結したいアメリカにとって憲法9条は最大の障害物となっていたのでした。ところが、マッカーサーにとって都合のいいことに、幣原自身が「私(幣原)が発案した」と主張してくれているので、その主張に合わせるだけでよかった、ということになります。

       なお、幣原は、マッカーサーが解任される約1カ月前の同年310日、心筋梗塞により亡くなっていますので、もはや幣原自身によって幣原発案説を覆される危険もなかったわけです。

       

       もっとも、平野がなぜ幣原発案説を主張したのかという理由については、背景がよくわかっていないので、何とも言えません。ともあれ、平野説の独自な点は、幣原がGHQ草案以前に9条の原案になるような考えを周囲の日本人の誰にも語っていなかったため、幣原発案説を疑う人がいたことから、そうした疑問に応答するような内容になっているということです。平野の動機については、先に述べた通り、わかっていないのですが、ことによると、現在の護憲派同様、幣原発案説を唱えることで、「押しつけ憲法論」を反駁できると思ったのかもしれません。が、これはあくまでも推測の域を出ません。

      <以上、回答終わり>

       

       9条原案の発案者が誰であったかという問題は、知的には興味をそそる問題ではあるが、それが誰であったにせよ、GHQ草案が日本政府に対して「押しつけられた」という事実に変わりはない以上、「押しつけ憲法論」を肯定したり否定したりする論拠にはなりえないことは、ちょっと考えただけでもわかりそうなものである。(ここでは論じないが、「押しつけ憲法論」を部分的に否定することは十分可能であるが、それは誰が9条を発案したかということとは関係ない。また、「押しつけ憲法論」を全面的に否定することはできない。)しかも、仮に平野文書が正しいと仮定すれば、幣原は「押しつけ」をマッカーサーに依頼していることになるのだから、憲法はGHQによる単純な「押しつけ」ではなく、“幣原による「押しつけ」依頼+依頼に基づく(但し9条だけでなく憲法草案全体の)「押しつけ」”という、さらに卑屈な構図になってしまうのである。ところがなぜか、不思議なことだが、幣原発案説信奉者たちは、「幣原=日本人」が9条を発案したのであれば、憲法は「マッカーサー=アメリカ人」から「押しつけられた」ものではない、と主張できると思い込んでいるようなのだ。さらに、黒澤いつき氏のような“愛国者”になると、「9条は日本人が提案したから、(日本人として)誇らしい」という発想になるようである。ネトウヨであれ“護憲派”であれ、都合のいい情報だけのつまみ食いはみっともないものですよ。

       


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        • 2017.07.22 Saturday
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        コメント
        詳しい回答をどうもありがとう!

        私は、歴史には暗く、日本の憲法についても、もちろん各国の憲法がどのようなものかもわかっていないので、近代国家で9条のような条文がある憲法が歴史上あったかもわからないのですが、歴史の皮肉で生まれたものとは言え、9条というのは本当にすごい条文だ、と何度読んでも思います。誰が発案したか、がわからなくとも、この条文のすごさが一度も実地に移されることなく、改悪されたり削除されるのはなんとしても食い止めたいです。
        • カガミン
        • 2016/12/08 8:41 PM
        カガミン様

        コメントありがとう。
        このところ毎日忙しくて、返事が遅くなりました。

        9条が生まれた理由は2つあると思います。
        1つは、侵略戦争を起こした日本を軍事的に無力化するという米国の方針。
        もう1つは、第2次大戦の惨状を目の当たりにした世界の人々の戦争廃絶への願いを背景とした理想主義です。

        一方で、9条を受容した日本国民の受け止め方は、単純ではありません。
        当時の国民の多くが9条を含む新憲法を支持したのは、「戦争はもう懲り懲りだ」という厭戦気分と、武装解除されていた当時の「現実」を踏まえて、「戦争に負けたんだから仕方がない」という諦念が、支持理由の大きな部分を占めていたのであって、9条の理想を心底から納得した上での支持は少なかっただろうと思います。
        現在の護憲運動の弱さも、9条の理想主義を内面的に支持する人が少ないことが大きな要因となっているように思います。
        • 宇井宙
        • 2016/12/11 2:16 PM
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