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    • 2017.07.22 Saturday
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    日米共演

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      (トランプ米大統領がイスラム圏7カ国からの入国を禁止した問題について)

      メルケル独首相「テロとの戦いは入国禁止の言い訳にならない」「大統領令は難民を支援する国際法や国際協力に反する」

      オランド仏大統領「民主主義を守る戦いは困難になる」「彼(トランプ米大統領)が難民の到着を拒むなら、我々は対応を取るべきだ」

      ファーガソン・ワシントン州司法長官「大統領令は信教の自由を侵す」

      イエーツ司法長官代行「合法との確信を持てない」

      ティム・クック・アップル社CEO「アップルは移民なしでは存在しない」

      デンデン首相「その国の判断だ」「コメントする立場にない」

       

      トランプ米大統領「アメリカを再び偉大に」

      デンデン首相「日本を取り戻す」「美しい国へ」

       

      トランプ米大統領「アメリカ第一」

      デンデン首相「アメリカ第一」

       

      デンデン首相「先の見えない時代において、最も大切なこと。それは、しっかりと軸を打ち立て、そして、ぶれないことであります。自由、民主主義、人権、法の支配といった基本的価値を共有する国々と連携する。」(120日、施政方針演説)

       


      政治の安全保障化

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         時間がないので手短に。

         

         中東・アフリカ7カ国ならの入国を禁じたトランプ大統領令に全米が揺れている。

         しかし、このような、イスラム教徒や移民・難民を敵視し、対立を煽り、国境を閉じようという動きは欧州でも広がっている。今朝の東京新聞社説は、今年のフランス大統領選挙で極右「国民戦線」のルペン党首が当選する可能性に言及し、警鐘を鳴らしている。

         日本の場合は元々難民への国境は閉じられているに等しいが、政治家と右翼メディアが一体となって中国・韓国・北朝鮮への敵意を煽る異様な状況が続いており、「アメリカ第一」を掲げる米大統領に対し、日本の首相もまた「アメリカ第一」を掲げてどこまでもアメリカに追随することを公言している(「これまでも、今も、そしてこれからも、日米同盟こそがわが国の外交・安全保障政策の基軸である。これは不変の原則である」安倍施政方針演説)。

         

         さて、このような世界に蔓延する極右化現象の根源にあるのは、政治全般の「安全保障化(securitization)」であろう。敵を設定して悪魔化することによって民衆の不安や憎悪を煽り、「命あっての物種」とばかりに、安全のためには人権や自由は制限されて当然であるとの意識を植え付け、虚言と虚勢でヘイトをまき散らす政治家が支持を集める現象である。

         

         これが、冷戦の終焉後に生き残りを必死で探していたアメリカの軍産複合体が発明した永久戦争=「対テロ戦争」の行きついた果ての姿である。いやいや、「対テロ戦争」はまだ「旅の途中」にすぎず、その行きつく先は想像を絶する凄惨な世界であるのかもしれない。

         


        ポピュリズムとは何か(2)

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           126日付東京新聞夕刊「論壇」は、中島岳志の「ポピュリズムと民主主義――リベラルの価値が危機」を掲載していた。中島はその中で、水島治郎『ポピュリズムとは何か』(中公新書)と遠藤乾「ポピュリズムって民主主義と何が違う? 知っておくべき『5つの事』」を紹介している。

           

           中島は、まず水島の「民衆の参加を通じて、『よりよき政治』をめざす、『下』からの運動」というポピュリズムの定義を紹介したうえで、反権力という側面が強調されれば「左派」、反福祉という側面が強調されれば「右派」、というように、敵の設定次第で様々なイデオロギーと結びつくことが特徴だと述べる。さらに、水島は、ポピュリズムは民主主義的側面だけでなく、リベラルな主張を取り入れることで、イスラムや移民を排斥することもあると指摘しつつも、総じて、負の側面よりも、積極的な側面を強調しているように思われる。

           

           それに対して、遠藤は、ポピュリズムがリベラルな価値とは相容れないことを指摘し、負の側面を強調しているようである。

           

           中島はこの文章を、「ポピュリズムは今年最大の政治的課題だろう。まずは欧米の動向を注視したい」と述べて結んでいる。

           

           ごく短い論説ながら、紹介された限りで判断すると、水島と遠藤の最大の違いはポピュリズムとリベラリズムとの関係に関する評価にあるようだ。そして、この点に関する限り、遠藤の主張に分があるように思われる。リベラリズムは、思考の特徴としては、普遍化可能な議論に訴える点で、「敵・味方」二元論を採るポピュリズムとは相容れ難く、政治的志向性においては、少数派の人権を重視する点で、「我々=多数派」の利益と感情に訴えるポピュリズムとは対極に位置するように思われるからだ。

           


          朝日新聞の「成長力」

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            昨日(126日)の朝日新聞「天声人語」。

            「ただ批判に明け暮れたり、言論の府である国会の中でプラカードを掲げても、何も生まれません」という安倍首相の施政方針演説の言葉を取り上げ、自民党が野党時代にせっせとプラカードを持ち込んでいたことを指摘した後、「野党から発言を訂正するよう迫られた首相は、力強く切り返した。「訂正でんでんというご指摘は当たらない」。訂正云々(うんぬん)を読み違えたらしい」と続け、最後は、「プラカードをやっつけても何も生まれません」と結んでいる。

            要するに、安倍首相を揶揄して留飲を下げているのである。

             

            確かに、「云々」を「でんでん」と読む一国の首相の国語力には驚かされるが、こと安倍首相や麻生副総理についていえば、もはや驚くのも馬鹿らしい。何せ安倍晋三ときたら、「成蹊」と名の付く学校に、小学校から大学まで16年間も通っていながら、「蹊」の字どころか、「成」という漢字が書けない御仁である。20年以上国会議員を、5年以上首相を務めていながら、立法府と行政府の区別もできない御仁である。「漢字一文字」の意味も理解できない御仁である。(200612月、テレビ局のリポーターに「今年一年を漢字一文字で表すと」と訊かれ、「変化」と答え、リポーターが再び、「総理、一文字で表すとすれば…」と問いかけても「責任、ですかね」と答えた。)「TNT火薬」を「NTT火薬」と読んでしまう御仁である。集団的自衛権の比喩として、「アソウさんは私の前を歩いてくれている。そこに3人の不良が出てきて、アソウさんに殴りかかった。私はアソウさんと一緒にこの人たちに対応する」と話した御仁である。南スーダンの危険性を永田町と比較した御仁である。法案に関する説明が「正しい」と言い張る理由として「私は総理大臣なんですから」と述べた御仁である。「明白な危険」の基準を問われて「明白な危険というのは、まさに明白なんです」と答えた御仁である。

            こんなアホが「云々」を「でんでん」と読んだところで、「さもありなん」である。

             

            こういう話題はツイッターやブログにはふさわしいだろうが、天下の朝日新聞がこんな話題で留飲を下げている場合だろうか。

            いや、留飲を下げてもいいのだが、こんな皮肉を言いたくなったのは、このところ歴史問題に関する朝日の報道姿勢がひどすぎるからである。

             

            例えば、先日のアパホテルの南京虐殺否定本報道は実にひどかった。119日の朝日新聞報道では、この事件について、アパグループ側と中国側の言い分をあたかも中立的傍観者のように報道していた。揚げ句の果てに、「明らかに公序良俗に反するならともかく、ホテル側にも表現の自由、経営の自由がある。不快に思う人には泊まらないという選択肢もある。騒ぎすぎるのも良くないのではないか」という観光学者のコメントや、「中国の人たちが日本全体のおもてなし業界に不信感を持つことが心配だ」という旅行会社のコメントで締めているのである。

             

            この事件の核心は旅行や観光問題なのだろうか。

            唖然とする。

            この問題の核心は、まさに朝日のような日本のメディアが、このような歴史修正主義妄言を放置し続けた結果、今では日本人の多数が歴史の真実が何なのかが、まるでわからなくなってしまっていることである。

             

            思えば3年前、従軍慰安婦問題報道で右翼メディアから異常なバッシングを浴びた朝日新聞社は、最終的に2014911日、社長が謝罪会見を開き、全面屈服した。この事件をきっかけに、安倍首相が「慰安婦問題の誤報で多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられた」と放言したり、外務省がアジア女性基金の「拠金呼びかけ文」をホームページから削除したり、政府が慰安婦を「性奴隷」と表現した1996年の国連報告書について、報告者のクマラスワミ氏に内容の一部撤回を申し入れといった動きが起き、あたかもこれまでの従軍慰安婦報道全体が怪しかったかのような雰囲気が生まれ、日本における歴史修正主義が一段と活気づく契機となった。

             

            この意味で、朝日新聞の罪は本当に重い。朝日はこの事件から、「歴史修正主義は批判しない」という教訓を学んだのだろうか。

             


            ポピュリズムとは何か(1)

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               トランプ政権の行方については全く先が見通せない。あのチョムスキー氏がトランプの「もっとも際立った特徴は予測不可能だということにあります」と述べている(『現代思想』2017年1月号)くらいだから、私ごときに予想ができようはずもない。しかし、昨年の英国の国民投票でのEU離脱派勝利と、トランプ大統領候補の勝利を受けて、「ポピュリズム」という言葉がにわかに日常政治用語と化したが、その割には、その意味するところが必ずしも明瞭ではないように思われる。もちろん、「ポピュリズム」という言葉自体は、19世紀末にアメリカで誕生した「人民党(People’s Party)の政治的立場を表すものとして誕生して以来、1世紀以上の歴史をもち、これまでにも様々な政党や政治家の立場や政治姿勢を指す言葉として用いられてきた。しかし、これまでは、ポピュリズムとは「民主主義の逸脱形態」というマイナスイメージを帯びた言葉として批判的に用いられる、例外的な政治現象だと思われていた。ところが、今や、ポピュリズム的傾向を持つ政治家や政党は、欧米でも日本でも、もはや例外とは言えないほど蔓延し、むしろ原則と例外とが入れ替わるのではないかとすら思われるような状況になっている。

               

               このような状況を踏まえて、ポピュリズムとは何であるのか、改めて考えてみたいのだが、現在の私にその答えはなく、答えを探すためには勉強(読書)が必要だが、目下のところ、仕事が非常に忙しくて、読書のための時間がなかなか取れない状況である。そのため、すき間時間ができたときに、断片的に気づいたことをメモしていくことにしたい。したがって、一体いつになったら答えが見つかるのか、否、そもそも答えがみつかるかどうかも現時点ではなんともいえないのが偽らざるところである。

               

               第1回目の今日は、主として、森政稔「ポピュリズムの政治思想的文脈」(前掲『現代政治』)に依拠しつつ、ポピュリズムの特徴を抽出してみたい。

               

               ポピュリズムの特徴として一般的に挙げられるのは、以下のようなものである。

               

              • 既得権益層・既成政党批判=腐敗したエリートへの攻撃
              • (「疎外された」「見捨てられた」と感じている)大衆の被害者意識や怒りや復讐心などの感情に訴える
              • 「敵」対「味方」(「我々」対「彼ら」)という二分法=善悪二元論
              • 「敵」(「既得権益層」「移民」「イスラーム」「日本経済」「グローバル資本主義」など)を設定することによって「味方」=「我々」=支持者を動員する
              • 自らを「代表されない利益の代表者」として演出する
              • 強いリーダーシップを演出する
              • メディアやSNSの利用による政治の「劇場」化
              • 争点の極端な単純化・ステレオタイプ化・誇張

               

               このような特徴を持つポピュリズムは、政治イデオロギー的には右翼から左翼まで存在しており、現に昨年の米大統領選挙では、トランプが右派のポピュリズムだとすれば、民主党候補として予想外の大健闘をしたバーニー・サンダースは左派ポピュリズムとする見方も多い。スペインのポデモスや、99年のベネズエラでのチャベス大統領就任から始まった中南米の左派政権も左派ポピュリズムの流れにあると見られる。ただし、近年の欧州で台頭著しいのは、オランダの自由党、ドイツのための選択肢(AfD)、フランス国民戦線、イタリア北部同盟など右翼ポピュリズムであることは言うまでもない。今年3月に行われるオランダ総選挙、4~5月のフランス大統領選挙、9月のドイツ連邦議会選挙などで、こうした政党がどこまで支持を広げるか、目を離せない。

               

               上記のような特徴を見ると、「大衆迎合主義」という訳語は適切ではないことがわかる。あらかじめ存在している大衆の欲求や願望に政治家が迎合しているといったことではなく、政治家や政党が「敵」や「争点」を設定して既存秩序の破壊者を演出する一方で、そのような政治家・政党に大衆が喝采を送り、「敵」への攻撃によって溜飲を下げるという現象との相互作用として捉える必要があるだろう。そのような現象を一言で表す日本語が今のところ存在しないので、不本意ながら「ポピュリズム」というカタカナ英語をそのまま使用せざるを得ない。

               

               ポピュリズムを支えるのは、森氏の指摘しているように、既存政治への不信感と同時に、政治には何でもできるはずだという性急で過剰な期待感なのである。

               

               


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